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オ ニ オ ン の つ ぶ や き

オ ニ オ ン の つ ぶ や き

「今から」でも遅くない。

もう年だから。。

もうすぐ終わりだから。。

もう限界だ。。

・・・とは自分で決めているリミットです。キリは自分でつけるものです。

時間の流れというのは方便のようなもので、あるのは現在つまり「今」だけです。

一体過去って何なのでしょう。。そして未来とは。。

良い例(わかりやすい例)が日本の公団住宅で、30年経つと建て替えられます。つまりそこでそれまでの建物は壊して建て直し、または更地にするのです。一般に団地の周辺には公園などがあり、子供たちが遊べるようになっています。建て替える時はその全てのインフラが消されてしまうのです。だから、建て替えの前に余所へ引っ越して、建て替え後に戻ってきた人は全く違う風景を見ることになります。そこには前の形が見事無くなっているのです。いくら記憶をたどっても地区ごと変わったものは思い出しにくく、特に他所で生活していればその記憶が出てくるだけでしょう。
淡いイメージの公園のシーソーを想っても、もうそこには何も無いのです。でもシーソーの音の記憶、妹の叫び声なんかは記憶のどこかにあるので、形を引っ張りだすことで感覚が戻ってきます。また、5階から見た給水塔の記憶もよみがえってくるでしょう。
全ての記憶は昔の形に引き継がれているだけです。つまり、今は何も存在しないのです。

戦後、戦争の記憶の為に戦士の像を建てたり、壁に名前を刻んだりします。それは形にして余韻を残しておきたいから、またその形から過去の記憶を呼び戻すためです。
別の言い方だと、形が無ければまったく何も残らなくなるということです。
ベテランが語り続けるうちは、記憶が引き継がれますが、いつか消えていきます。何世紀も前のことは誰も覚えていません。それは、過去のことであり、形が無くなったからです。

形とは感情を留めるモノなのです。だから辛い思いをして時に着ていた服はさっさと捨ててしまわないと、あなたはいつまでもその思いを引きずっていることになります。もったいないからという理由は一時忘れて、あっさりと手放すことです。箪笥の中に仕舞ったままの場合もあります。また楽しかった服だって、結局は過去の残形に過ぎません。過去がどんなに良くても、まだまだ良いこともあるのです。過去のシアワセよりもっともっと素晴らしいモノがやってくるのです。未来は「今」をきちんと生きていればいいだけです。

「今さら」でなく、「今から」でも充分間に合います。過去の精算をしてしまうことです。

服などなかなか捨てられない人もいます。まずは、気持ちをクリアーにすればいくらでも手放すことが可能になります。服だけでなく、精神的な重荷も同じことです。過去や未来にとらわれすぎて現在を無視しているのです。


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